歩こう!歌舞伎町 ~歌舞伎町の名所~
東京新宿鎮座 花園神社

所在地   :新宿5-17-3
電話番號:03-3209-5265

《內藤新宿が生まれるまで》
新宿は、內藤新宿とか追分新宿とか呼ばれていた宿場町で、その名は「內藤家屋敷地前にできた新しい宿」を意味していました。

內藤家二代目清成は家康の関東移封に先立ち、江戸に居城を構えるために伊賀組百人鉄砲隊を率いて、國府道(後の甲州街道)と鎌倉街道の交差點となっていた現在の新宿二丁目を中心として陣屋を敷き、警備にあたったのです。
家康が江戸入城の後、內藤氏は布陣していた新宿の地をそのまま拝領し、これが現在の新宿御苑となっています。
內藤家が拝領した頃の新宿は、街道筋とはいえ宿場もなく、靜かな一帯でした。その當時日本橋を起點とした甲州街道で一番初めの宿場町は高井戸にあり、その距離は約4里2町(約16km)であったといわれています。
最初の宿場町まで、あまりに遠く不便なため、元祿11年(1698)に淺草安倍川町の名主であった喜兵衛(後の高松喜六)が同志4人(市左衛門、忠右衛門、嘉吉、五兵衛)とともに、5600両の巨額の金を上納することを條件に、その中間に新しい宿場町の開設を願い出ました。

その場所が內藤家の屋敷前であったことから、新しい宿場町の意を込めて「內藤新宿」と呼ばれるようになったのです。內藤新宿は宿場町として賑わうとともに、岡場所(官許の遊里以外で私娼のいた場所)としても知られるようになります。

《文化を育む空間としての花園神社》
當時の花園神社は既に現在の地に移転しており、宿場町としての新宿が栄えるとともに、総鎮守として多くの人々の信仰を集めていました。
安永9年(1780)と文化8年(1811)には、大火で焼失した社殿を再建するため境內に劇場を設けて、見世物や演劇、踴りなどを興行して好評を博しました。花園神社と蕓能の縁は、この頃から始まったものです。
戦後、甲州街道と青梅街道が交差する開かれた街「新宿」は、雑多なエネルギーに満ちた新しい文化の発信地になりました。唐十郎のテント芝居が行われるなど花園神社は、そうした文化を育む役割も擔ってきたのです。
蕓能の起源が神事であるように、花園神社と新宿の文化もまた、密接に結びついているのです。

歌舞伎町弁財天(歌舞伎町公園) ~歌舞音曲?商売繁盛の神様~

所在地   :歌舞伎町1-13-3
電話番號:03-3209-9291

《弁財天の縁起と歌舞伎弁天の由來》
歌舞伎町はかつて、この地が、肥前國(長崎)大村藩主だった大村家の別荘があったことから(明治?大正期)「大村の森」と呼ばれる場所だったそうです。
真ん中に池とそれを濕地と森が囲み、明治期は絶好の鴨場だった。大正二年、上野寛永寺の不忍弁天様の分祀として本尊を勧請、池のほとりに祠が祀られたのが始まり。

明治26年東京の市民に飲み水を提供する淀橋浄水場が建設された時にその殘土で殘っていた鴨場の池が埋め立てられ、さらに大正9年には新宿東寶ビルの辺りには府立第5高等女學校ができ、
徐々にこのあたりはひっそりとした住宅街になっていった。池が無くなるも弁財天の祠はあり続け、やがて、大正十二年に土地の所有権が尾張屋銀行頭取の峯島家に移転した頃を機に、「峯島家 尾張屋銀行 町內篤志家乃淨財で」本堂改築を行う。
昭和20年4月の空襲で消失、その際、熱心な信者の方(岡安たか子氏)が自身で本尊を持ち帰り、その後、峯島家に返還され、改めて、戦後復興期、消失した弁天堂の用地に仮殿を建設、その後、弁天堂用地は歌舞伎町商店街振興組合所有に、現在の公園用地は新宿區に寄贈され、現本堂は昭和38年に歌舞伎町商店街振興組合所有地に建設された建物に設置されたもの。
以來、歌舞伎町商店街振興組合は毎年5月、組合員の古希の祝いとあわせ、上野寛永寺から僧侶を招き、この弁財天で祭禮を行っている。

新宿十二社熊野神社

所在地   :西新宿2-11-2
電話番號:03-3343-5521

《都心にある緑に囲まれた歴史と文化溢れる神社。》
十二社熊野神社は、室町時代の応永年間(1394~1428)に中野長者と呼ばれた鈴木九郎が、故郷である紀州の熊野三山より十二所権現をうつし祠ったものと伝えられます。
一説に、この地域の開拓にあたった渡辺興兵衛が天文,永祿年間(1532~69)の熊野の亂に際し、紀州よりこの地に流れ著き、熊野権現を祠ったともいいます。
鈴木家は、紀州藤代で熊野三山の祠官をつとめる家柄でしたが、源義経に従ったため、奧州平泉より東國各地を敗走し、九郎の代に中野(現在の中野坂上から西新宿一帯)に住むようになりました。
九郎は、この地域の開拓にあたるとともに、自身の産土神である熊野三山より若一王子宮を祠りました。
その後鈴木家は、家運が上昇し、中野長者と呼ばれる資産家になったため、応永10年(1403)熊野三山の十二所権現すべてを祠ったといいます。
江戸時代には、熊野十二所権現社と呼ばれ、幕府による社殿の整備や修復も何回か行われました。
また、享保年間(1716~1735)には八代將軍吉宗が鷹狩を機會に參拝するようになり、滝や池を擁した周辺の風致は江戸西郊の景勝地として賑わい、文人墨客も多數訪れました。
明治維新後は、現在の櫛御気野大神?伊邪奈美大神を祭神とし、熊野神社と改稱し現在にいたっています。
氏子町の範囲は、西新宿ならびに新宿駅周辺及び歌舞伎町を含む地域で、新宿の総鎮守となっています。

稲荷鬼王神社

所在地   :歌舞伎町2-17-5
電話番號:03-3200-2904

厄除け、心願成就の鬼の王様という名前を持つ全國唯一の神社。
歌舞伎町の奧座敷にある小さな神社ですが、新宿區文化財の水盥石が、新宿區文化財の水盥石めミニ富士山、山犬の狛犬、可愛い狛犬、かえる石、神秘的な音色を奏でる2基の水琴窟などがあります。

ご祭神
宇賀能御魂命(うがのみたまのみこと)
鬼王権現(きおうごんげん)
月夜見命(つきよみのみこと)
大物生命(おおものぬしのみこと)
天手力男命(あめのたじからおのみこと)

例祭日
9月18日

御由緒
古來より大久保村の聖地といわれた場所にたてられた稲荷神社と鬼王神社が天保2年に一緒になりました。
病気時に豆腐を斷って「撫で守り」で治す、という信仰が江戸時代から有名です。特殊神事は節分追儺式。

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